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八月十五日(日)
北海道旅行初日
午前4時30分起床。
今日~か~ら 北海道~(ほっかいどう!)
涼しい涼しい 北海道~ (ほっかいどう!)
都会のジャングル さらばいば~い
ク~ソ食らえ ヒートアイランド現象!
20℃の世界よ あぁ~
(作詞、作曲:伊藤春秋)
北海道旅行初日
午前4時30分起床。
今日~か~ら 北海道~(ほっかいどう!)
涼しい涼しい 北海道~ (ほっかいどう!)
都会のジャングル さらばいば~い
ク~ソ食らえ ヒートアイランド現象!
20℃の世界よ あぁ~
(作詞、作曲:伊藤春秋)
東京(東京都)
緯度:北緯35度41.4分/経度:東経139度45.6分
2004年 8月15日 午前8時
気温18.3℃
from 気象庁HP
なめんな。
我々はこの時期の北海道の最低気温以下の中、旅立った。
駅へ向かう途中、顔にぽつぽつと雫が当たる。冷たいから多分涙ではない。
午前5時30分ごろ、新宿行きの中央線の中で我々6人は無事に集合することができた。
実にらしくない時間通りの理想的展開。
しかし今朝の中央線の中は、なにか変だ。なんというか妙な『気』を感じる。
やけに人が多いだけではない。なんか皆同じにおいがする。
3日目の東館壁際大手列のにおいがする(紙とインクと栗の花のにおい)。
この日は例の埋立地で開かれる巨大即売会の三日目であった。
予想外の強烈濃厚な同行者たちと共に定刻に新宿駅に着いた。
これから大雨強風の戦場へ向かう煩悩戦士どもに敬礼を送りつつ、郡山行きのホームを目指す。
Gが言うには、この後はひたすらローカル線を乗り換えながら仙台を目指すのみらしい。さすが鉄ちゃん。
電光掲示板を見ると電車の発車までしばらくの時間があるようだ。
我々はいったん解散して朝食の買出しをすることにした。
僕もとりあえず自販機で茶でも買おうと思い立ち上がった。
「あれ、伊藤君」
突然後ろから名を呼ばれる。驚いて振り向くと、そこにはなぜか友人の夜月氏。
しかし挨拶も程々に「じゃ、オレはこっちに用があるから」と、爽やかかつ足早に別のホームに向かっていってしまった。
3日目の東館壁際大手列の香りが残っていたような気がする。
運命と言うよりむしろギャグのような出会いを果たしつつ我々は郡山行きの電車に乗り込んだ。
午前10時30分ごろ、電車が若干遅れはしたものの郡山駅に到着した。雨はすっかり止んでいる。
次の福島行きの電車が出るまで30分ほどある。一息ついて周りを見回してみた。
ここまで来ると、周りの風景は実に田舎らしくなる。
町の名所が書かれた看板、人気の無い住宅地、そして厚底靴withパンダ。
…ここは世紀末の東京か。
今では珍しい絶滅危惧種を観測した後、早めの昼食をとることにした。
食べるものは当然鉄道旅行の醍醐味、駅弁。
『駅弁』という単語に微妙に反応して、前かがみになりつつ駅弁屋に向かう(意味がわからない良い子はググらないように!)。
ホームの階段を上がったすぐのところに駅弁屋はあった。
いかにも典型的な田舎の駅弁屋だ。ディスプレイの商品を見てみる。
『肉の女将漬』
……
両目に田舎らしからぬ濃厚かつ耽美な商品名が飛び込んだ。
一瞬郡山駅に突如出没した移動式裏ビデオ屋かと思ったが、よく見ると『肉』の前に『豚』という文字が書いてある。
まぎらわしい真似しやがって…。
『豚肉の女将漬』(1,000円)
郡山駅を代表する名物駅弁。
白米の上に味噌とスパイスのたれの中に漬け込んだ豚肉が焼いて載っている。
郡山にある日本料亭の女将に代々伝わる料理とのこと。
(女将には到底見えない駅弁屋のオバチャン談)
福島行きの電車の中で駅弁を食した後、福島駅で流れるような6分乗換えを華麗に決めた我々は午後1時12分、仙台駅に到着した。
ここからフェリーに乗るわけだが出航は夜。それまで仙台見学をすることになっている。
向かう先は松尾芭蕉の句で有名な山寺『宝珠山立石寺』。
仙台駅から仙山線に乗り込み、山寺へ向かう。
1時間後、午後2時56分到着。
あの、すいません。
登れと?
この山寺は登山口から頂上の奥の院まで千十五段の階段が延々と続いている。
そして階段を一段ずつ踏みしめて登ることにより、煩悩が一つずつ消えていくらしいのだ。
階段を一段登る時間で煩悩が三つは発生する我々には関係ないことだが、普通の山道に比べればはるかに登りやすい。
しかし問題発生。帰りの電車に乗るために40分で駅まで戻らなければならないとのこと。
40分で往復しろと?
煩悩双破掌(階段2つ飛ばし)、煩悩連撃波(階段3つ飛ばし)を駆使してなんとか15分で踏破。
さすがに登ってる最中は煩悩は浮かんでは来なかった。
下方を眺めれば流石は山頂。幽玄な景観が眼前に展開される。
内部を眺めれば流石は観光地。古風な落書きが展開される。
(どうでもいいが『高久尚美』ってこの人かな?年代的にピッタリなんだよな)
頂上で5分ほど休憩を取り再び煩悩つぶしの下り階段に挑む。
階段というものは下りの方が筋肉に与える疲労は大きい。既に登りで体力を消耗していた我々には辛い道のりとなった。
知らないうちにハートマン軍曹の歌を口ずさんでいたのもやむ無き事だろう。(周りには家族連れのちっちゃい子がイッパイいました)
駅に戻ってきたころには、全員ひざが不自然にカクカクしている。
しかし無事に間に合ったようだ。なんとか仙台行きの電車に乗ることができた。
その後、午後6時30分ごろ仙台駅の中で牛タン屋に入りとろけるような牛タンを大量に食いまくる。
麦飯をとろろ芋つきでおかわりしてから、ようやく店を出た。
仙台港のある多賀城駅までの電車に乗り込む。
この日は花火大会がどこかで開かれるらしく電車の中は通勤特快のような有様だった。
体が次々と押し寄せる乗客の波に押しつぶされる。山寺での疲労も重なり一瞬意識が飛びかける。
消えゆく視界の片隅に吊り広告が映った。
『ロボット解体ショー開催』
恐るべし、仙台…
多賀城駅に全員無傷で降りられたのは神の恵みであろうか。
我々は疲れた体を引きずって仙台港へ向かう。
午後8時00分、乗船。
手続き所に我々の乗るフェリーの紹介ポスターが張ってある。
人気が定着した日本一の豪華フェリー!『いしかり』
総トン数14500トン。
明るく広い船内。ムービーシアター、大浴場などの設備も有る。
美しい特等船室と1等船室の写真。
ところで
僕たちが泊まる2等船室の写真が無いのですが?
不安を抱えて船室に入る。
ザコ寝かよ。
布団でもないかと押入れを開けてみる。
現実が詰まってた。
汽笛とともにわずかな振動が床を伝わる。出航したようだ。
交代で大浴場に行き風呂に入る。まさか船の上で風呂に入れるとは思ってなかったから、なかなかにうれしい。
O野が浴場にいた外人さんの超巨大マグナムを見て心に深い傷を負うという事件がさりげなく起きたが、風呂の水はちゃんと真水だったし、シャワーも使えたので、今日一日の疲れを癒すことができた。
船室へ戻ったら午後10時には船内の電気が消された。
初日から疲れ果てていた我々はすぐに深い眠りに落ちていった。
明日の起床は朝4時30分。朝日を見るとのこと。
ふざけんな。
緯度:北緯35度41.4分/経度:東経139度45.6分
2004年 8月15日 午前8時
気温18.3℃
from 気象庁HP
なめんな。
我々はこの時期の北海道の最低気温以下の中、旅立った。
駅へ向かう途中、顔にぽつぽつと雫が当たる。冷たいから多分涙ではない。
午前5時30分ごろ、新宿行きの中央線の中で我々6人は無事に集合することができた。
実にらしくない時間通りの理想的展開。
しかし今朝の中央線の中は、なにか変だ。なんというか妙な『気』を感じる。
やけに人が多いだけではない。なんか皆同じにおいがする。
3日目の東館壁際大手列のにおいがする(紙とインクと栗の花のにおい)。
この日は例の埋立地で開かれる巨大即売会の三日目であった。
予想外の強烈濃厚な同行者たちと共に定刻に新宿駅に着いた。
これから大雨強風の戦場へ向かう煩悩戦士どもに敬礼を送りつつ、郡山行きのホームを目指す。
Gが言うには、この後はひたすらローカル線を乗り換えながら仙台を目指すのみらしい。さすが鉄ちゃん。
電光掲示板を見ると電車の発車までしばらくの時間があるようだ。
我々はいったん解散して朝食の買出しをすることにした。
僕もとりあえず自販機で茶でも買おうと思い立ち上がった。
「あれ、伊藤君」
突然後ろから名を呼ばれる。驚いて振り向くと、そこにはなぜか友人の夜月氏。
しかし挨拶も程々に「じゃ、オレはこっちに用があるから」と、爽やかかつ足早に別のホームに向かっていってしまった。
3日目の東館壁際大手列の香りが残っていたような気がする。
運命と言うよりむしろギャグのような出会いを果たしつつ我々は郡山行きの電車に乗り込んだ。
午前10時30分ごろ、電車が若干遅れはしたものの郡山駅に到着した。雨はすっかり止んでいる。
次の福島行きの電車が出るまで30分ほどある。一息ついて周りを見回してみた。
ここまで来ると、周りの風景は実に田舎らしくなる。
町の名所が書かれた看板、人気の無い住宅地、そして厚底靴withパンダ。
…ここは世紀末の東京か。
今では珍しい絶滅危惧種を観測した後、早めの昼食をとることにした。
食べるものは当然鉄道旅行の醍醐味、駅弁。
『駅弁』という単語に微妙に反応して、前かがみになりつつ駅弁屋に向かう(意味がわからない良い子はググらないように!)。
ホームの階段を上がったすぐのところに駅弁屋はあった。
いかにも典型的な田舎の駅弁屋だ。ディスプレイの商品を見てみる。
『肉の女将漬』
……
両目に田舎らしからぬ濃厚かつ耽美な商品名が飛び込んだ。
一瞬郡山駅に突如出没した移動式裏ビデオ屋かと思ったが、よく見ると『肉』の前に『豚』という文字が書いてある。
まぎらわしい真似しやがって…。
『豚肉の女将漬』(1,000円)
郡山駅を代表する名物駅弁。
白米の上に味噌とスパイスのたれの中に漬け込んだ豚肉が焼いて載っている。
郡山にある日本料亭の女将に代々伝わる料理とのこと。
(女将には到底見えない駅弁屋のオバチャン談)
福島行きの電車の中で駅弁を食した後、福島駅で流れるような6分乗換えを華麗に決めた我々は午後1時12分、仙台駅に到着した。
ここからフェリーに乗るわけだが出航は夜。それまで仙台見学をすることになっている。
向かう先は松尾芭蕉の句で有名な山寺『宝珠山立石寺』。
仙台駅から仙山線に乗り込み、山寺へ向かう。
1時間後、午後2時56分到着。
あの、すいません。
登れと?
この山寺は登山口から頂上の奥の院まで千十五段の階段が延々と続いている。
そして階段を一段ずつ踏みしめて登ることにより、煩悩が一つずつ消えていくらしいのだ。
階段を一段登る時間で煩悩が三つは発生する我々には関係ないことだが、普通の山道に比べればはるかに登りやすい。
しかし問題発生。帰りの電車に乗るために40分で駅まで戻らなければならないとのこと。
40分で往復しろと?
煩悩双破掌(階段2つ飛ばし)、煩悩連撃波(階段3つ飛ばし)を駆使してなんとか15分で踏破。
さすがに登ってる最中は煩悩は浮かんでは来なかった。
下方を眺めれば流石は山頂。幽玄な景観が眼前に展開される。
内部を眺めれば流石は観光地。古風な落書きが展開される。
(どうでもいいが『高久尚美』ってこの人かな?年代的にピッタリなんだよな)
頂上で5分ほど休憩を取り再び煩悩つぶしの下り階段に挑む。
階段というものは下りの方が筋肉に与える疲労は大きい。既に登りで体力を消耗していた我々には辛い道のりとなった。
知らないうちにハートマン軍曹の歌を口ずさんでいたのもやむ無き事だろう。(周りには家族連れのちっちゃい子がイッパイいました)
駅に戻ってきたころには、全員ひざが不自然にカクカクしている。
しかし無事に間に合ったようだ。なんとか仙台行きの電車に乗ることができた。
その後、午後6時30分ごろ仙台駅の中で牛タン屋に入りとろけるような牛タンを大量に食いまくる。
麦飯をとろろ芋つきでおかわりしてから、ようやく店を出た。
仙台港のある多賀城駅までの電車に乗り込む。
この日は花火大会がどこかで開かれるらしく電車の中は通勤特快のような有様だった。
体が次々と押し寄せる乗客の波に押しつぶされる。山寺での疲労も重なり一瞬意識が飛びかける。
消えゆく視界の片隅に吊り広告が映った。
『ロボット解体ショー開催』
恐るべし、仙台…
多賀城駅に全員無傷で降りられたのは神の恵みであろうか。
我々は疲れた体を引きずって仙台港へ向かう。
午後8時00分、乗船。
手続き所に我々の乗るフェリーの紹介ポスターが張ってある。
人気が定着した日本一の豪華フェリー!『いしかり』
総トン数14500トン。
明るく広い船内。ムービーシアター、大浴場などの設備も有る。
美しい特等船室と1等船室の写真。
ところで
僕たちが泊まる2等船室の写真が無いのですが?
不安を抱えて船室に入る。
ザコ寝かよ。
布団でもないかと押入れを開けてみる。
現実が詰まってた。
汽笛とともにわずかな振動が床を伝わる。出航したようだ。
交代で大浴場に行き風呂に入る。まさか船の上で風呂に入れるとは思ってなかったから、なかなかにうれしい。
O野が浴場にいた外人さんの超巨大マグナムを見て心に深い傷を負うという事件がさりげなく起きたが、風呂の水はちゃんと真水だったし、シャワーも使えたので、今日一日の疲れを癒すことができた。
船室へ戻ったら午後10時には船内の電気が消された。
初日から疲れ果てていた我々はすぐに深い眠りに落ちていった。
明日の起床は朝4時30分。朝日を見るとのこと。
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